第十二話「桜色の未来たち」

  どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹き飛ばせ
  すっぱいかりんもふきとばせ

と言うような話なのかな、と最初のころは思ったりもしたわけですが、結局、みかんストレート、という話だったまなびストレート

あまりに淡々と定番の羅列で進むから、これはもしかしたら、大どんでん返しかものすごい悪質なバッドエンドが待ち受けているのかと、ちょっと期待してしまいました。牽強付会を承知で言えば、なにかありそうでやっぱりない、というアンチクライマックスと狙ったということであるのかもしれない。
まあ、それだからどうしたという話でもある。そこに意味合いが見出せない趣向はなんの力も持たないのだった。

総括としてはやはり、やりたいことがちぐはぐ、ということにつきましたね。このアニメ。

この最終回でいうと、オープニング映像に回帰するエピローグの趣向は悪くないけれど、卒業式後にいくつものイベントを連続させてしまった(反省会からみかんの旅立ちまで)ため、ストーリーに上手く組み込めずに、結果なんの意味も必然性も作り出すことなく「一年六ヵ月後」にやるという話になってしまう。もうちょっとイベントを絞り込めばよかったのに。しかも、映像がOP準拠であるため、当然五人の外見に変化はなく、みかんの「学校は(世界は)変わらないけど、私は変わりたい」という決意すら、空手形に終わらせてしまうという有様(少なくても、見た目とキャラはぜんぜん変わってないように見える)。未来は桜色どころか、停滞空間の囚人である。
何か手の込んだいやみなのかもしれないが、インパクトはありません。

失敗の理由はいろいろとあると思うけど、前にも書いたように、まなび中心でまわすべき話であるにもかかわらず、そのまなびのキャラがさいごまで確立しなかったのが、最大の敗因だろう。あと、作り手の視点がキャラクターから遠すぎたため、青春ものにすらなれなかったこと――青春している人を遠まきに眺めても、青春ドラマにならないのである。

それにしても、シナリオは件のごとくへろへろだし、のみならず、キャラデザが変とか、音楽が時折耳障り(あの手拍子はなんとかならなかったんだろうか)とか、いろいろ気になるところはあったけど、それでもまあ最後まで見られたぐらいだから、このスタッフにはそれなりに力はあるのだろうと思う。少なくても、道を踏み外さなければ、いいものを作れるかもしれない、と思うである。実際、原作つきならばシノブ伝という金字塔がすでにあるのだから。

というわけで、次回作に期待したい――などと書こうと思っていたのだが、次回作は『空の境界』を七部作で劇場版? 原作どおりにやれば、ただの電波(自殺は事故とか、多重人格が遺伝するとか)、改変したらオリジナル製作力の弱さがネック……なんとも茨の道を行きますなあ。まっすぐゴー?

 おあとがよろしいようで。


  どっどど どどうど どどうど どどう……