第九話「集う仲間たち」

えーと、まず一言。


 吐き気がするほどロマンチックだぜ!


ちなみにROMANとは「つくりごと」とか「うそ」とか「お話」というほどの意味である。


冒頭、すでに署名が三十八パーセント集まっていることに笑う。もうこの時点で作っている側の適当に誤魔化してやろうという意欲が満々でくらくらします。
つづく、時計塔のトークで死にそうになる。もっともここは引かせるのが目的の場面なのでこれは作り手の意図通り。まずとてつもなくひどいものを見せておいて、それよりほんのちょっと無理のないものを見せれば、なんとなく説得力があるように思えてくるという算段である。あまり美しくはないが、この計算自体は正しい。もっとも、この期に及んでこういうせこいごまかしをするなら、最初からもっと解決しやすい問題にすればいいのにと思わないでもないが。

で、その本命の「解決策」だが、しかしやっぱり直球ではないのだった。まあはっきりとあのばで、残り四十パーセント近くの生徒が署名している光景をえがいてしまったら、あまりに嘘くさいからね。それでなくてもたとえば、いったいどれくらい新校舎に残っていて、そのうちどれだけが旧校舎改修に動員されてきて、かつ「新規」で学園祭賛成に回ったのか、とか、そもそもまなびたちも案内されないとわからなかった旧校舎に演劇部の人たちはどうやって辿り着いて、しかもそこで改修作業をしていることをいつ知ったのか、資材や機材はいつ集めたのか、いったいあの学校の「放課後」は何時間あるのか、等々ご都合主義ないし「脳内補完」をやらないとどうしようもない展開の数々なのである。
 感心したのは、校長がその場の思いつきと自分の思い入れで、電気を引かせたりするくだりで、なるほどこういうことをしていたら、学校経営が傾くのも無理がないですね。

それにしても、今回の話、まなびはなんの役に立ったんだろう。時計塔の「妖精」を怒らせる係か? それいがいは、みんなで何かするのはたのしい、という個人的な思い込みを振りかざして暴れているだけである。

ちなみに、ここでもメイにいったんまなびの発言に突っ込ませて、その後同意させるという、二段階のごまかし技が導入されている。まあ普通に考えれば、「みんなで何かやるのは楽しい」というのは「楽しめる人には楽しい」だけで一般性があるものでもないし、人が複数いればまったく軋轢が生まれないこともありえない。楽しくないことだって少なからずあるのである。だいたい、学園祭が「駅前のクラブイベント」より面白い、と断じてしまうのは、「学園祭は意味がない」という発想と同種の了見の狭さであるのだけども、ともかく学園祭を至上というコンセプトで作品が展開している以上、宇宙人であっても地球人的な村意識にとらわれてしまうのであった。それでなくてもメイン三人(桃は今回のでもわかるとおり、やっぱりおまけである)より掘り下げのあさいキャラなのに、これでますます意味不明なキャラになってしまった気がする。もしかするとまなびのキャラをスタッフもよく把握してないのかもしれない。その場その場で作り手の主張や都合のための行動をさせるための傀儡、それがまなびなのかも。

つまり再び遠藤ミチロウの言葉をもじるならば、


 まなび! おまえだ! カラッポ!


とこういうことである。