第百五十話

 ギロロが旅立つ、というのがお題の話。
クライマックスで流れるのは「SAYONARA」が良かったとか、光の筋となって消えていく列車にあわせて、しぶいナレーションが欲しかったとか、いろいろ不満はある――ないものねだり、ともいう――けれど、悪くないでき。とくに、オチが見えてても焼き芋のくだりで感動してしまったのは、こちらにキャラへの愛着があるせいだけでなく、作るほうが照れずに泣かせ演出をやりとおした成果でもある。淡々としたなかに哀愁を忍ばせて語る中田譲治は無敵だ(そういえば、巌窟王の十五話だったか、やっぱり999チックな告別のシーンがとても素晴らしかったんだよね。個人的にはあのアニメはあそこでお終いである)。手紙を読み終えてぼそりとつぶやく斎藤千和もいい。

ただ、エピローグの「外国人」はいくらなんでも苦しい。元の木阿弥オチだから、できるだけどうでもいい言葉であったほうがいいという計算であるのはわかるのだけど、突拍子もない言葉ではまずいのではないだろうか。ふつうに、家族とか友達でも充分だったような気がする。

しかしこういう話を今やってしまうと、第四期はやれるネタが本当に少なくなってしまうような……。