第二話「まっすぐでゴー」

 えー作りこんだOPは目がちかちかします。ワンルームのエデンは情報がオーヴァードーズ。曲はなんか普通。

 話は、まなびの「素敵な学校にしましょう」構想がみんなに支持されてます、というだけの内容。ようするに前回と同じですね。堂々巡りというか、空回りというか。どこまでも性善説で、素敵な歌のある学校だから素敵な学校にとか、素敵な部屋(幼稚園みたいですが)がある学校にしたいとか、どこまでも情で責めるのは、別に悪くはないけど、設定が高校でこれはどうだろうとは思う。
 そもそも、外見が小学生でも中身は高校生なのか、実態は小学生で設定だけ高校生なのか、そこからしてよくわからない。あいだをとって中学生にしておけば、そう違和感もなかったろうに。

 映像的には相変わらず動きを付けすぎてかえって不自然。平野綾のキャラのツンデレとかは定番をやりすぎて、なにかのパロディのようである。

 くりかえされるメッセージと手法の乖離もちょっと気になる。これ、萌えアニメ的な定番描写を極力削って、きちんと子供向けに作ったほうがいいのではなかろうか? 内容が真面目でもキャラの動きや見せ方が媚媚だと、見る層は限りなく絞られてしまう。もちろん、その限られた層に向けて発信しているのだろうから、商品としてはそれで間違いはないのだが、作品的には、メッセージが限りなくどうでもよくなるのである。これが少女漫画にはよくあるような主人公賛美ものならば、まだわかる――つまり、日野さんの「正論」みたいなものですね。メッセージそのものの意味合いよりも、それをいうキャラが重要という奴である――のだけど、まなびは限りなくエイリアンであって、そういうコンセプトとはそぐわないし、といってエイリアンであるがゆえに、なにか面白い視点を提供する(たとえば『よつばと』のよつばみたいにね)でもない。そのせいで、なんかよくわからない奇怪なキャラが、べたべたな正論をばら撒いて賞賛されるという、見る側に限りなく接点のないドラマになってしまっているのだ。
 野中藍のキャラをもっと立てて、「彼女から見たまなび」という、作品のまさに視座をはっきりさせれてつくれば、印象がだいぶ違うと思うのだが……。