第二話「瞼の光」

第一話ででてきた「地下の光の流れ=生命の根源のエネルギーの脈」を巡る話。
ギンコの片目は隠しているどころか義眼なのだった。ただしその目玉は別に生きていたり、ギンコの父親だったりはしなかったのだが。最初目の色が同じだから、両目とも義眼の百鬼丸状態なのかと思ったが、さにあらず。「本当の闇の世界」では模造品の存在は視覚的に反映されないため、片目の男に見えた、ということらしい。

この手の話では、たいてい純粋かつ善良に悲劇の当事者に接する主人公と、邪険にしたり憎悪したりするキャラの対比でドラマが作られることが多いのだけど、この話のお母さんは弱くはあっても悪い人でなく、見てていやな気持ちにならないのがいい。
前回に比べると、「蟲」の世界をやや恐怖の対象として描いている感じだが、それはようするに目に救うものがそれ自体人を害する存在だからで、ドラマのいろいろな意味で根底にある光の川は、美しすぎ、真実に近すぎるゆえに危険という、畏敬の対象としての位置づけはぶれていない。そういえば、『天保異聞妖奇士』の妖夷もこれに近い存在でしたね。事件の核となる、あちら側とこちら側の遭遇を積極的に「悪夢」と取るか、「不幸な出会い」と取るかというスタンスの相違で、この二作における「異界」の描かれ方が結果的にがけっこう異なってきてはいますが。

暗闇で遊ぶ二人のエピソードは子供ながらにどこか色っぽい。スイ役の岡明子という人は、これで始めて聞くが(ちょっと調べたら声優は本業でない模様)、ささきのぞみ的な素人上等なよさがあっていい。目を入れたら、ギンコの妹みたいになってしまいましたが、まあそれはそれで悪くありません。