第十一話

ようやく「変身」というファンタジー設定に切り込む。
 もちろん、にわかには信じがたいわけである。何箇所かで納得する足がかりになるようなネタをちりばめてきてはいるし、少年側が「まさか」と思えるような下地はそこそこ出来ているとは思うが、それでもやっぱり、「同級生が大人になった」という異常事態を少年が納得する展開に持っていくのは大変なのだった。普通の人間ならやはり、ものすごく手の混んだ詐欺か嫌がらせだと思うだろう(というふうに思えるということは、このアニメがキャラクターの「普通の人間らしさ」の描出にそれなりのレベルで成功としているということを意味している。まあたぶんに中学生日記テイストではあるけれど)。
 てっとりばやい証明の手段はもちろん同種の奇跡に遭遇させることで、つまりこの場合は椒子さんを引っ張りだしてくればいいわけだが、本作の成否の鍵はそういうふうな納得をさせる手段の模索をしていく展開の巧拙ではなく、彼が納得するに至る気持ちの推移を、いかに視聴者に自然に伝え切れるかというところにあるだろう。今回ですっきり解決させないのも、たんにクライマックスへの引きというだけでなく、いわゆる「時が自然に解決する」――すなわち経年による既成事実化を、話数をまたぐ、という現実の時間の経過とシンクロさせることで、視聴者に理屈でない体感的な事実として納得させるという意味合いがあるわけである。一話経過すれば(そして放送時は一週間もたてば)、かなりとっぴなことでも冷静に受け止められるだろう、と視聴者もなんとなく思ってしまうということですね。
 そして「来週には」都合よく椒子さんも来てくれるしね。

 とまれ、次回の大詰めはどうなるのでしょうか。フォーマット的には夏の終わりと共に戻るのは間違いないのだろうが、お話としてはここが起承転結の転にあたって、大人からだと少年と小清水亜美キャラと兄貴と椒子さんで壮大な恋の鞘当て合戦が始まってもおかしくないところである。序破急の急としても、あと一話ではあまり盛り上げられない気がする。さて。

 そうそう、兄貴は最後まで駄目駄目でしたな。まだ一話あるけど、ここでもいまだ俺は俺は言っているようではアウト。この兄がいなければ、もっといい「ひと夏の物語」になったような気がします。