テアトル新宿は初日でもないのに、上映三十分前、すでに満員。もう立ち見だという。まあ、はいってみると空き席がちらほらあって、前すぎず後ろすぎず、右寄りでもなく左寄りでもない、ようするに見るに十分な席に座れたわけですが、筒井ブランドなのか、今作品がセカンドジブリ的位置にあるのか、単に上映館が少なすぎるせいなのか、ともかくもそこそこ話題作になりそうな客の入りは、うれしいような、うっとうしいような複雑な気持ちだったりするのだった。

さて、今監督、『東京ゴッドファーザーズ』に続く新作である。
『東京……』は意図的に封印したという映像面での曲芸の乏しさと、シナリオのまずさの相乗効果で、今敏作品の中ではもっとも微妙な一編だったが、今回は、封印を前面開放。同時に戻ってきた平沢進サウンドともに曲芸が全面炸裂、堪能させてくれる。

 原作はいわずと知れた筒井康隆の有名作だが、最初に出たときにすぐ読んで、それきり一度も読み直していないのでお話はほぼ忘却のかなた、パプリカの夢治療がもっとロジカルだったり、映画にはまったく出てこない「真の治療」の存在ぐらいしか憶えていなかったのだが、ぜんぜん困らなかった。つまり、アニメはアニメたぶん原作をさきに読んでいく必要はまったくない、スマートなお話に仕上がっているということである。今アニメの中ではもっとも物語の結構が整った、一般性の高い作品なのではなかろうか。

 その代わり――といっていいのかどうかわからないが――『妄想代理人』まではあった「映像に淫する」姿勢が薄れているように思う。物語を破壊することをいとわず、続々とアイディアを繰り出し「二次元であること」をもてあそんで、ともかく視覚芸術として作品を構成する、いってみれば今敏作品において視覚効果とは手段ではなく目的であると思わせるような、インパクトと説得力を兼ね備えた表現の数々が、本作においては、ごく常識的な「物語の絵解き」という地位に甘んじている気がしてならないのである。

たとえば、高揚感と異物感を兼ね備えた平沢進のボーダレスサウンドに先導されるように画面を荒れ狂う夢の百鬼夜行(昼だけど)は、たしかに壮観なのだけど、時空を越えて走る女優や、重力を無視して町を行くアイドル、二次元の過去に迷い込んだ刑事、といった過去のビジュアルに比べると、常識的で物足りない。しかも、狸行列の退廃性は実はすでに何年も前に高畑勲がやっていて、あちらのほうがいまだ病んで見えるのだから、これはまずい。
ファンとしては今敏には見たこともないようなものを作ってほしいのである。

とはいえ、先述したように作品としてのまとまりは、過去最高であるし、ひさびさの主演と思われる林原めぐみは、一人二役だがまったく違う人間ではないという役どころを呼吸をするような自然さで演じていて、実にいい。
平沢進の音楽も楽曲的にはアルバム『白虎野』からのリサイクルがメインとはいえ、さながら全編ミュージッククリップのような扱いで爆音で流し続けられる(妄想代理人と同じく、平沢節とは「悪夢の調べ」なのである)に十分耐える力強さを獲得しており、お話を無視しても楽しめそうな勢いではありました。劇場を出るときはあやしいサンプリングボイスが脳内でぐるぐる回ること必至。

 あるいは、これは(残念ながら)「余生」の作品であるかもしれない。たとえそうであっても、日が暮れるにはまだ遠いようである。