第二十六話「彼女達の肖像」

最終回である。


 今、万感の思いを込めて、ヘリカル・モートリスが駆動する。
 今、万感の思いを込めて、シムーン・アウレアがいく。
 巫女の時代の終わりに彼女たちは思う。シムーンは、少女たちの心の中を飛んだ艇(ふね)だったのだと。


なんちゃって。
しかしつまりはそういう話なのである。飛びゆく二人について、残された者が思いを馳せ、そうすることで彼女らは永遠の存在となる。
すべての人の希望と思い出と未来を引き受けて、まさしく時空を超越して飛びつづけること、そうしようとする志、それこそが永遠の少女であるのだと、それを謳いあげるための二十六話。立派な終着でありました。

物語的には前回も書いたとおり、今回はエピローグであって、大きな変化、新事実もなく(エリスとフロエの変化はある意味ものすごく大きいけど)、淡々と残された――残ることを選んだ――者たちのその後をつづっていく。このパートが穏やかでとてもいい。調和している双子、逞しいフロエ、安定したパライエッタ、なんとなく策士になっているロードレアモン、普通を享受するモリナス、もう一度飛ぼうとするリモネとドミヌーラ、「定点」のユン……、思春期(思い出)を賛美しつつ、成長した現在を否定しないこのバランス感覚。その反面、必ずしも安定ではない政情ものぞかせ、ただのハッピーエンドにもしないのも素敵だ。
カットバックで描かれるアーエルとネヴィリルの旅立ちは基本的に前回のリフレインなのだが、予想通り追撃すると見せかけて二人の道行を寿ぐQ国の巫女さんのリマージョンと、それに続くQ国リーダーの言葉、というシークエンスが印象的。対立国家だからといって、悪ではないのだ。

総括としてシビュラたちが語る言葉、言葉、言葉。その連結は、初期の散漫な会話とはこれは果たして対比を狙ったものだったのかどうか。
そしてタンゴ。ここはもう静聴あるのみである。

骨格だけ取り出してしまえば、ありがちな思春期賛歌だし、物語の進行にしても、その見せ方にしても、必ずしも万全とはいえないものだったけど、キャラクターはじわじわと肉付けされていき、テーマに焦点が定まった結果、初期からは想像できないような結実を見せてくれたと思う。
終わりよければすべて良しという理屈は必ずしも正しいわけではないが、ちゃんと語りきることができたということは十分評価に値するだろう(ただし、アーエルの風琴については、もう少し突っ込んだ描写があってもよかったかもしれない)。
シビュラの皆様方、そして、一話で何役もする声優の皆様方、お疲れ様でした。