を見てきた。もちろん細田守監督版である。

別名、スーパーガールリターンズ。
――とはいわないが、一世を風靡したキャラクターのリニューアル作という意味で共通点があるような気もしないでもない。
奇しくもこの二作、どちらも「リメイクでない続編」であるわけだし。

さて本作。ゆうきまさみとりみき原田知世教徒にした大林版は主題歌を知っている程度で本編は見ていないし、『タイムトラベラー』なんて名前しかしらない。せいぜい原作を呼んでいる程度だけどこれも小学生か中学生の頃に読んだきりで転校生が実は……とか、ラベンダーの香りがどうしたこうしたということぐらいしか覚えていない、という、レベルの非常に浅い「ときかけ」知識しかなく、当然とくに思い入れも無かったりするのだけど、なにやらやたら評判がいいし、個人的にも物凄い坂の町をバックにしたポスターが結構気に入ったりしてたので、新宿テアトルで見てきたわけなんですが――

はい。よくできていましたね。佳作といっていいと思う。期待したとおりのものがみられたという感じで、なかなかに楽しい98分でした。

すでに巷に喧伝されているように「続編」ではあるが、正編を知らなくてもいいレベルの「続き方」で、言ってみれば「時をかける少女」の主題による変奏曲、という作品。目のつけどころも良く、狙いも成功しています。
冒頭のゴールドベルグの「主題」を用いたループ展開の暗示から、「第一変奏」にはいる同時に始まるタイムリープのシークエンスにはわくわくしたし、どう見ても筒井康隆というより少女漫画なトリオ構成(対照的な男二人とどちらにも大切にされる――そして少し危険な方が好きな――主人公)もその微妙な空気感の描出は上手だ。そして、ともかく動きの楽しさで見せる絵作り、「時駆け」をSFアイテムというよりスコシフシギガジェットとしてさらっと使いこなす姿勢も潔くて好感が持てる。主人公を始め、二人の男も、主人公の友達も、妹も、三人の後輩も、過不足なく「若くて可愛い若くて可愛い(by氷室京介)」で、文句なし。町も、夏の気分も、学校の感じも、今というより微妙に過去だが、そこがまたいい。

しかし、評価はそのあたりで、行き詰まってしまう。なぜか不思議と心に響かない。よくできてます、ああ面白かった、で終ってしまう。
へんだなー。果たしてこちらの感性が鈍磨しているのだろうか? 期待しすぎで相対的に評価が落ちた?

で、思うにこの映画、優等生にすぎるのである。

 テーマはキッチリ語られ、ドラマもまとまり、作画もよし、と、主人公とは正反対に、すべてそつなく、すべて優良。
これを見れば、細田守という人が監督としてすごく優秀であり、よくできた映画を作る職人であることはよくわかる。「細田守」プロモーションとしてはこれ以上はないものだろう。
しかし「作家」細田守、としてはどうなのか? 
この人は何を伝えたくて(見せたくて)映画を作っているんだろう、というのが申し訳ないがさっぱりわからない。。

作品そのものから問題を探してみると、具体的には終盤で主人公が泣くところ、あそこが他人事に見えてしまうあたりで、この作品を「感動作」を手にする最後のチャンスを作り手は逃がしてしまったとふんでいるのだが、そういうことになってしまうのは、シナリオや演出の欠陥というより、作り手の思い入れの薄さであるように思う。監督が主人公になっていないし、恋してもいない。

いってみれば「魂」がみあたらないのだ。

古来優れた作家というのは、結局のところ、そつの無さよりも如何に突出したものがあるか、でその地位を作ってきたように思う。職人的センスを謳われるような作家にしても、実のところはその強烈なスタイルの存在を持って残っているのであって、没個性ではない。
あるいは細田の過去の作品を見続けている人にはこの人の個性が見えているのかもしれないが。それは少なくてもこの作品から強く伝わってくることは無かった。

たとえば『ビューティフルドリーマー』、たとえば『アキラ』、たとえば『カリオストロの城』、こういった作品は明らかな欠点を持ってはいても、それを上回る作り手のエネルギーを感じさせたものである。これらがいまだ絶大な大きな影響力を誇るのは、つまるところそれがいまだ有効だからだろう。技術や表現は経年劣化や世代の断絶から免れ得ないが、伝えようという意志は、雨にも負けず、劣化にも負けず、断絶をも飛び越えて、意外としぶとく伝わるものである。

あるいは、本作が悪いのではなく、本作が話題作になっているような現状のほうがどこかおかしいのかもしれない。それはつまり、定規に正確な計測が出来るから、直線が引けるからすごい、とか言っているようなものなのではないだろうか?
言い方を変えれば、こういう作品は、ある種の「良心」としての存在意義はあるといえるし、そういう意味で大げさに語られることなくひっそり静かに支持されるのがふさわしいと思うけれど。

と、同時にこれは非常にもったいないことでもある。作画も演出もデザインもシナリオも、ここまでマスに開かれていたアニメ映画は、それこそスタジオジブリ作品以外ではそうあるものではなかったのだから。