第十一話「残るまぼろし」

情報存在の死についての一編。

 もうすこし哲学方面からのアプローチをするかと思っていたんだけど、この辺はあくまで常識的に突き進む。
 もっとも、キョウが「感情があるから真実で真実だから生きている」というところで思考停止をしてしまった時点で、予測できることだったということはできる。
 とはいえ、もったいない。
 この辺の話題をつきつめると、物理現実を伴わない世界での存在の消滅、とは何か、記録された世界における記録された存在としての「生存」と、個人(あるいは複数)の記憶の中の存在――つまり思い出としての「生存」とではなにが違うのかとか、結構面白い話になると思うのだけど。
 特に今回「ガルズオルムはデータを複製して復活する」という設定が出現したわけで(あちらさんは量子データじゃないのか、とかデータから物理存在を復元する技術があるのかい、という疑問はおいておくとして)、複製可能な存在とそうでない存在の差、なんかもいい思考実験の素材になるだろうに。
 エヴァ以降、なにか考えているふりをするアニメはたくさん出たけど、実際にいろいろ考えさせるアニメってのは結構レアなわけで。

 まあ、もともとそんな方向には発展させるつもりはなく、デカルト云々はシナリオライターの勇み足だったのかも知れないけど。ロボット関係ない話になってしまうしね。
 
 ともあれ、この話はそちらには行かず、われわれの物理現実とようするに同じ、という解釈で進行したわけだが、そこで描かれた「アークの死と遺される人々」という物語自体は、演出も演技も気合が入っていて、なかなかよかった。正直、もっと台詞は削れたとは思うし、このスタッフならそれでも充分表現出来ただろうとも思うけども、六時台のゲームタイアップアニメとしてはこれぐらいでちょうどいいのかも知れない。

 ただ、ラストのリョウコのアークの死を知ってからの流れはよろしくない。シナリオ的にはその後のキョウの気持ちの自覚に繋げるべく、彼女を一刻も早くキョウに泣きつかせたかった、ということなのだろうが、いささか無理がありすぎる。
 半日付き合っただけの人の死をあんなに悲しめるのか、というのは、感受性豊かなリョウコ故ということでいいとしても、あの時まずリョウコが見せるべき反応は、「クリスやシズノがあの一日に何をしていたのか、を悟る」が先だろう。涙は認識の後でいい。
 おかげで、そこまでのアークの死をめぐるドラマがまるでキョンに自覚を促すトリガーみたいになってしまった。
 おしい。

 その後の引きはまあいいとして。っていうか次回からどんどん覚醒者が増えていくのか?