第十話「崇殺し編 其の弐 キズナ」

やっぱりこの話は嫌いだ。
 たしかに、ゲームより薄味にはなっている。が、ゲロ吐きはあるし、目が死んでいるのはあるし、かないみかがうまいしで、あまり不快感が減らないつくりになっている。うーむ。

 しかし、これ、重いテーマだから嫌いなのではない。
 あからさまな萌えキャラプラス思いテーマの食い合わせの悪さもないとは言わないが、それ以上に、この「不幸」が、基本的に、記号としての不幸だからいやなのである。虐待児童の心の傷について深入りするでなく、それが起きてしまう状況の悲劇を考察するのでもない、ようするキャラクターを視聴者にかわいそうがらせるためのアイテムでしかない。だから嫌なのだ。

 設定考証面で疑問が多いのもこのエピソードの問題である。

 具体的には、八十年代は児童虐待問題は社会的に顕在化してなかった。
 社会的に本格的に問題視されるようになったのは1990年代で(それまでは「しつけ」の一環としてみる傾向が強かった)、しかも、これはゲームやっているときに疑問に思って調べてみたのだが、児童虐待について法的にきちんと定義され、対象化された法案――児童虐待の防止等に関する法律、いわゆる児童虐待防止法が成立したのは、なんと2000年になってからのことなのだ。
 このあたりはあるいは、なにか壮大なトリックが絡んでいるのかもしれないが、単純に、作者が深く考えてなかった可能性のほうが高い。

 というのも、アニメでは出てきてないが、千恵先生が昭和の時代には存在して無い条文を引用したり、平成十七年に初めて法律できちんと位置付けられた虐待防止ネットワーク――「要保護児童対策地域協議会」の存在が当たり前のように言及されたり、辻褄を合わせるとしたら、すべて現在の話です、とか、嘘でした芝居です、とかにしない限り、ありえないことばかりなのだ。そういう大技だったら、それはそれでそんな馬鹿トリックのために虐待ネタを使うなという気になるわけで、何のための陰惨な展開だったということになるだろう。

 こちら方面はまあ原作の問題という気もするので、あまり言ってもしょうがない気もするが、アニメとしてもちょっとこのシリーズは問題だ。やっぱりさとこと主人公の交流の描写が薄すぎる気がする。
 ちょっとなつかれただけで簡単に殺人を依頼できるようになるのはあんまりではなかろうか。

 そういえばすっかり忘れてたけど、原作でのさとこのトラップ好きの設定は闇に葬られてますね。