第二十一話「天地乖離す開闢の星」

残り三話らしいのに、士郎くんはまったく学習しません。一人で戦おうとして瀕死、一人で出歩いて瀕死。
 セイバーもまあいったん引くとか馬鹿を当て身で気絶させて持ち運ぶという発想はまったくないようで。戦略的撤退が出来ない指揮官ってあり? あ、エクスカリバー攻撃で負け知らずだったから、戦術とか全然知らないのか。とたまには「原作どおりだし……」以外の突っ込みもしてみる。でもまあ、たしか原作がこういう流れだったんだよなあ……。なんとなくスタッフに同情。

 さて、ついに黄金の王様の正体が判明っていうか自白。
 このひと、アニメでも、ウルクの王(記録によれば紀元前二千年代中盤)なのに使う武器は「ゲートオブバビロン」てのは変わらないのね(バビロンが首都になったのは紀元前千八百年ごろ成立したバビロニア王朝なので、彼が王様だった頃はそうメジャーな土地じゃなかったはず)。
 原作の決めシーンを削るわけにはいかないんだろうし、ヘラクレスが「実在」する世界の話にこちらの世界の「事実」をぶつけてもしょうがないんだろうけど……。

 しかし、この「ゲートオブバビロン!」のシーンはギルガメッシュのうしろにパチンコ屋の電飾みたいな効果がひらめいてじつに素晴らしかった。ギャグはどこまでも徹底しないといけないよね。
 このギルガメッシュ対セイバー戦は、倒れているセイバーがカットごとに全然動きやポーズが繋がってないように見えたのなんだったんだろう。何の伏線も説得力もなく出てきた、さるアイテムは、原作知らない人の眼にはどう映るのか気になるところ。知ってたって失笑ものの一品なんですが。
 そして微妙に雑魚っぽくいったん退場するギルガメッシュ。(たぶん)ラスボスなんだから、もうちょっと余裕を見せて去ってもいいのに。
あ、でも、あんまり余裕だとなんでここで引くのかわからなくなってしまうな。セイバーが欲しいんだったら持っていけばいいはずだしね。ここでも「原作どおり」の壁――いやむしろ枷が――あるのであった。桜編以上にオリジナル構成で頑張ればよかったのに。

 後半の衛宮家はなんか無人になってたような。皆さんのんきに爆睡中? 
 生死をかけた「戦争」とも言われる戦いの渦中にあり、他の敵の正体はおろか動向すら不明という超危険な状態で、しかも一番狙われやすいマスターが午後の間ずっと不在、しかも夜になっても帰ってこない、という常識で考えたらやばいことになってる可能性大の状況なのに。
 凛に桜にイリヤに大河、みんな士郎ラブなのになかなか冷たい。

 そういえば、セイバーの回想での一言二言の台詞しかないモルドレッドに、桑島法子を連れてくるなんて勿体無すぎる。
 ところでこのモルドレッド、先ほど『アーサー王の死』を読み返してたら、死に様はこの作品のそれよりはるかに壮絶でかっこよかったのだった。

 マロリーの描くモルドレッドはアーサーに槍で貫かれて、己の敗北と死が決定的になったと悟ると、体を槍に貫かせたまま踏み込んで――つまり、より槍を体に喰いこませて――アーサーに肉迫、その兜を叩き割って彼に致命傷を負わせて、そして死んでいくのである。何一つ語ることなく。敵役かくあるべし。

 続けてそのままアーサーの最後も読んだらやっぱり悲しくも美しい。
 おもわず「コピーは原典を超えられない」とかいいたくなるが、これはたぶんそういう問題ではないだろう(現実には後続が原典を越えることなんか珍しくないからね)。

 黒幕の名乗りを上げたギロロ言峰はノリノリだが、さて、どれくらい見せ場があることやら。原作のあのかっこ悪い悪の哲学だけはカットして欲しいところであります。

 タイトルの「天地乖離す開闢の星」はこれ、なんだっけ? ギルガメッシュの奥義「エヌマエリシュ」の訳語? 忘れてしまった。
 さて、原作未プレイの人間で意味がわかる人はいるんだろうか? いやもう原作知らん人は客としてみてないのかな?