第五話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅲ」

宇宙人用(無理して読む必要はないです。ていうか目に悪いです)


第三話の直接の続きであり、当然、内容も同様に前回提示された全事象を前提しておらず、すなわちこれが如何なる意味合いを現出させるというと、前回(すなわち第七話)において主人公と視聴者、ともに周知の事柄として語られた各種設定が、今度は新規の事柄として語られるわけであり、これがもたらす効果はというと、形容するならば製本時に乱丁化せしめられた書物を読解する過程において先行するページを不連続の状態で読破することを強要させられるのに類似し、その専門用語において「カットアップ」という単語にて置換して表現される文学的パフォーマンスを、アニメで再現および実践したという様に好意的に解釈することは小数点第三位より左に自然数が出現しない確率レベルにおいては可能ということは粉骨砕身の努力をもってすれば不可能ではないといえるが、右の手法はウィリアムバロウズが試みても不評であった技法であることは製作者達は深く感得ずる必要があるのが明白であるのは、それが不評な技法だからではなく、本作において当の技法を使用したことによって、今回のエピソードの本源的な意味すなわち長門・みくる・古泉の連続告白の真実性の不確実によって生み出される主人公の当惑と懐疑が決定的に無効化されたという状況の発現および、この状況によってもたらされた、視聴者には無駄な隘路に進入しているようにしか見えない主人公の疑惑とそれにより主人公にまったく共感を不可能化されてしまった視聴者の感覚、という作品視聴上の障害でしかない事態を出来させてしまったことに起因するのだが、これらが製作者達の計算内であるのならば、或いは問題がないという余地はいまだあるのであるが、そもそも彼らの意図が那辺に所在しているのか推測することすら非常に困難である現状では、この不合理を肯定するのは困難といわざるをえないのであり、加えて本来の順番に忠実に放映しておくことの当然ともいえるメリットと比較するにつけ、その損失は図りしれないのだったが、ではその構成面を無視した本編の内容、特にその中心である「真相開陳」はどうだったかというと、各人造語を織り交ぜ本稿のごとくまわりくどく解りにくく講義した内容は、実はどれも内容的には定番の域をでておらず――精神生命体、不可逆の過去、ゴスの創造説、特異点存在――の、彼らの言っていることを端的に総括すると「ハルヒは要観察。キョンハルヒの大切な人」というだけのことに過ぎず、煎じ詰めればこれは、SFはあくまでシチュエーションの合理化のためのツールであり、本作が本質的にはSFでないということを端的に示しているのであるのだろうと推定されるが、やはり前回断片的に説明された閉鎖空間、謎の存在など、およそハードSFとは無縁な事象が、本作からSF色を後退させていくのみならず、論理的な考察ともあまり縁の深くない作品であることを暗示して、意外なぐらい盛り上がりに乏しい仕上がりになっており、とはいえ、そのことそのものは考察の初期段階からこれは変形した青春ものの一変種として認識されていたのであったわけであり、当該の認識においては破綻はないということは可能ではあるのだが、その側面においても破綻が見えるのもまた事実であって、それは即ち今回のハルヒの明白なキョンへの思慕の情の描きかた、具体的にはくじ引きでキョンと一緒になれずに憤激するハルヒという「憂鬱Ⅱ」の続きとしては明らかに飛躍が過ぎる展開にこそあり、しかしその点については、此処は或いは原作の欠陥を忠実に再現している可能性も少なからず存在し、現時点での判断は難しい事象ということが出来るのであるが、野球の物語におけるアミダの取り扱いと比較すると明らかな矛盾が生じているのもまた厳然たる事実であるともいうことが出来、以上をもって話数の入れ替えの弊害の一つと見るのが優勢ということもまたひとつの可能して検討可能な事象であるとはいえるのだが、即断するほど決定的と言うわけでもなく、次回放映の第九話および次々回放映されるであろう第十話の先に、或いはその回答の片鱗が見えるのかもしれないが、最終的には最終話放映までその演出意図が見えない可能性があることもまた否定できないというのが現状においての判断である。



人類用



第三話のそのままの続きである。当然、内容もまったく前回を受けていない。

 これがどういうことかというと、前回(すなわち第七話)において主人公と視聴者、ともに周知の事柄として語られた各種設定が、今度は新規の事柄として語られるわけである。

 たとえていうなら乱丁で先のページを読んじゃったみたいなものですね。文学的にかっこつけて言うなら「カットアップ」をアニメで実践したって感じ? まあウィリアムバロウズがやっても不評だった技法なわけですが。まあ意味ある混乱と、ただの乱雑じゃあ、ノイズの量が違いすぎるしね



 内容に即していうと、今回の話は本来、長門さんやみくる、古泉の連続告白がすべて真実である、という保証がなくなるから、嘘みたいな話を嘘みたいに次々と言ってくるおかしな人々というちょい不条理なコメディという流れだったのだろうと思うのだけど、前回のことで嘘みたいな話がすべて本当であることが確定してしまっているから、キョンの戸惑いに共感しようがない。この構成考えた人はあまり賢くないな。

 順番にやっておけば、視聴者とキョンが同じ立場になるわけだから、視聴者が無理なくキョンにシンクロできたのにねえ。そうすると、あの語りだってもうすこし親近感が持てるようになったかもしれない。



 さて各種説明はというと、皆さんごちゃごちゃと造語を織り交ぜおしゃべりなさっているが、内容的には定番の域をでてない。精神だけの生命体も、逆行できない過去も良くあるネタだし。 ともかくも彼らの言っていることを端的にまとめるとこうなる。



「宇宙人的にはハルヒは特異存在なので要観察。ハルヒにとってキョンは大切な人」

「未来人的にはハルヒは特異存在なので要観察。ハルヒにとってキョンは大切な人」

「超能力者的にはハルヒは特異存在なので要観察。ハルヒにとってキョンは大切な人」



 ハイこれだけです。いまのところ、SFはあくまでシチュエーションの合理化のためのツールに過ぎないようにみえます。いや細部では三年前の特異点とかあるけども、前回のおかげで、三年前に本当にハルヒが全部作った、というのも余裕でありに見えるので、別に謎って言う感じじゃない。つーかゴスの創造説ですね、我々には反証が出来ない最強の理論。

 加えてやっぱり前回ちょろっと出た閉鎖空間とか例のアレ(エヴァ使徒っぽいやつ)とか、およそハードSFとは無縁な事象が、さらにこちらに真面目に検討しようという意欲をなくさせます。閉鎖空間とは別名「フウゼツ」……とかいわれてもぜんぜん驚かないね。まあようするに青春ものにプラス「スコシフシギ」だよね、これ。



 そうだ、前回の評価において、「ここでキョンにラブなハルヒを見せてしまったら過程を順に追う面白さがなくなる」というようなことを書いたが、これは訂正しないといけない。「憂鬱Ⅱ」と「憂鬱Ⅲ」のあいだになにがあったのかしらないがもうすでにハルヒキョンにラブラブでした。

 でもくじはコントロールできないのはなぜだろう? 野球のときより力が弱いのか、あるいはここで能力を発揮してしまったら、宇宙人たちの言っていることが真実と確定してしまうから避けたのか……ってこれは本来の順番でやらないと意味の無い工夫だなあ。伏線は無効になり、カモフラージュは逆効果? ありえない構成センスだ。

 まさかDVDでは本来の順で出したりしないだろうね。



 次回は第九話、だそうです。それも前後篇。シリーズ中盤に差し掛かったので、ここらで水着でサービスというつもりなのでしょうか。今回の続きは少なく見ても三週間後。どうせこれも意味なく話が飛んでるだけなんだろうなあ。