第二話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」

いきなり、どうでもいいことだが、この世には二種類の人間が存在する。
 『ハイペリオンの没落』に反応する人間と、反応しない人間だ。反応しなかった人にはなんでもないショットに過ぎず、反応した人にはすこし作品への好感度が高まるという仕掛けである。
 まったくもって姑息な話ではあるし、別に喜んでやる義理もないが、それで損をするわけでもないので、喜んでおくのが正しいだろうと判断し、喜んでやることにしたのだった。人はパンにて生くるにはあらず。しかし美味いパンは幸せを呼び、幸せこそが人の生きる糧なのだ、とこれは誰かさんの受け売りだが。
 さて文芸部の娘が読んでいたダンシモンズ、そうとわかればわかったで、読んでる人のペースとかあのハードカバー版の重量感を上手く表現できてない描写がちょっと気になるわけだが、そのようなところをつついても仕方ない。所詮はアニメである。その表現の限界ぐらいはわかっているのだ。
 なんにせよ、好感度はかくのごとくして発生したのである。がしかし、そうやって発生した好意が作品への評価がプラスになるかというと実はそうでもないのだった。そうでもないどころか、むしろゼロだ。というのも、そこに至るまでの主人公のうっとうしい語りによってその評価はすでに地に墜ちていたから。
 しょーがないよな、じっさい。
 だいたい、前回の印象のせいで今回はそもそもマイナススタートなのが痛いんだよね。はっきりいってゼロよりか厳しい。マイナスに始まりそれが維持され、ややプラス修正されて、それでゼロになったんだからこれはむしろ僥倖というべきなんじゃないか。

 ああ、なんて偉大なハイペリオン

 などという御託はおくとして、肝腎の話はというと、これが別にどうということない、社会規範からかなりずれたヒロインとそれと唯一まともに渡り合える主人公の交流がメインなのだった。既視感バリバリ。っていうか、こういうの、永野のり子漫画にもこういうキャラ関係あったよなあ。性別逆だし、たぶんトラウマとかないんだろうし、あってもうっとうしいと思うけど。いやむしろ「成恵の世界」か? 探せばいくらでも似た話は見つかりそうではあるが、物語のとっかかりとしては別に問題があるわけもない。
 むしろ、問題がないことが問題なのだ。だってさ、前回の変化球はいったいなんだったんだ? 詐欺じゃんよ。

 だがまあ、なんだ。作画は十分の出来だ。これは素直に認めたい。
 でも、いちいち胸を揺らしたりするようなノリはこれ見よがしすぎて、あからさまな疑似餌に喜ぶ人が一体どれぐらいいるんだろうかと暗澹たる気持ちになる。それはかたちのいい乳房が目の前でぼいんぼいんすることで全ての人類が幸せになるのなら、胸の揺れる描写を頻発乱舞謳歌させることを認めるにいささかの躊躇いも憶えないが、残念ながらこの世界は胸の揺れでは救えないのだ。そして一部の寂しい人間を癒す目的には少しばかり揺らしすぎであるだろう。
 簡単に言うと、うざい、見苦しい。
 光の演出も同じぐらいくどい気がするがこれはまあいいや。見苦しくはないから。

 そうそう。エンドクレジットのダンスは意外にも画面が大きくなったらたいしたことがなかったのだった。妙にインチキくさい動きというか、メリハリが利いてない。リズム感がいまいちな印象がある。或いは、ハルヒたちのダンスは所詮文系人間のなんちゃってダンスってことなのか? いやハルヒは運動神経良かったはずだが。謎だ。いや、詰めが甘いだけか。

 そんなこんなの三十分、次回はまだキャラ紹介編かな? 古畑の真似してた奴とか喋る猫とか出てきてないし。
 紹介編が終わって、うざい語りも落ち着けば、すこしはまともな雰囲気になるんだろう、とここは好意的にまとめておこう。