第一話「今日から君はホストだ」

平たくいうとラブコメな『少女革命ウテナ』。
 ようするに榎戸洋司が『ウテナ』において追求し、そして失敗した少女漫画テイストを本物の少女漫画を原作にすることで実現したと。なんとなく敗北宣言のように見えないこともないが、素直なのはいいことである。
 まずなんといっても、背景美術から作画までかなりのクオリティで、見ているだけでじつに楽しい。アニメ的にはここでもう買ったようなものである。個人的には巌窟王の第一話あたりの感動に近い。
 で、お話はというと、まあ、まごうことなき少女漫画である。たとえば、「花とゆめ」や「ララ」系の漫画を少しでも読んでいる人なら、主人公の正体がかなり早い段階で見抜けたはずだが、それは伏線が丁寧とか、隠し方が下手とか言うのではなく、それが「王道」だからである。
 ついでにいうと、今後のプロットの中心に位置するであろう「どこにでもいる普通」の主人公は、絶対無敵唯一至高の自己に無自覚なだけ、なんていうのは、もう何百冊かかれたか分からないぐらいお約束だ。
 これは批判ではない。王道とかお約束というのは、それをやるとほぼ確実に楽しいからこそ存在しているのである。要は、見せかたが大切、ということ。
 使い古しのコンセプトをいかに鮮やかに使ってみせるか。このアニメは、それを照れずに真正面から描くことで成功したのだ。前述したように作画面での頑張りも大きいが、派手なところはどこまでも派手に、崩し絵で落とすときはちゃんと落とすというメリハリのある演出も(まあこれも王道だが……)いい案配である。
 作品的には、このノリをいつまで維持できるかが、勝負の分かれ目だろう。
 話のほうはたぶん、良くも悪くも誰もが予想するとおりのものにしかならないだろうから。
 そう。主人公がピュアパワーでホスト部のみんな全てにモテモテ、彼らの悩みも(あれば)解決、傷も(あれば)癒し、「主人公って素敵!」ていうやつである。
 いやこれは嫌味じゃないよ。もちろんストーリーが面白いにこしたことはないけれど、たぶん原作の段階ですでに、そこに重きをおいてなさそうな気がするのである。さらに榎戸洋司の作家性からしても、仮に原作に繊細なドラマ性があってもそこはすっぱり落とすだろうし。
 そんなわけで、本作の作品的な見所はストーリーではなく、どこまでも演出と様式美にあるように思えるわけである。そして、スタイリッシュが売りの話はスタイリッシュであり続けなければいけない。ミッチーは一生王子様をやってないと駄目なのだ。榎戸の前作『忘却の旋律』はそのへんの徹底がいまいちだったしねえ。
 さてどうなりますやら。