第十話「11月3日 ゆのさま」

はてな。この茶碗は?
とでもいいたくなる一編でした。
 
作中のゆのの台詞

「見る人はどう解釈しても、私にとっては未完成だ。(中略) この経験が私を大きくしてくれると信じて」

をもじって

作る人がどう計算しても、視聴者にとっては未完成だ。この落差に作り手が猛省をしてくれると信じて。

などと言ってみたくもなりますが。前半の紙芝居展開はともかくも、後半の「富士山」は、手法として徹底すればこれもありだったのではと思う。それこそドッグヴィルよろしく、背景は富士山だけでなく全て文字とか。ついでだから小道具も全て文字とか、キャラも全部文字とか(これはネギまでたまにやってるか)。

ただし、本作はネギま以上にキャラクターの存在感が重要な作品なので(逆にいえば、キャラだけちゃんとでていればいい作品でもある)、極端な記号化は支持されにくいだろう。限りなく記号な簡単絵なら全裸でのアクションも躊躇なくかける、というのは、手抜きくさくもあるが、変に靄がたちこめる画面になったり、不自然なアングルが多発することが不可避の通常作画よりは伸び伸びとしたアクションが展開できるという点では、悪くないかもしれない。

 ときに、この世界の百円は銅貨なのだろうか。
サエさんがらみでまた変な伏線が。あと二回なのに回収されるのだろうか。しかもなんと次が四月。むう。