第一話

 CLAMPがキャラクター原案、木村貴宏がアニメキャラクターデザインというアニメ。監督の谷口吾朗という人は個人的にはどうでもいい――というか、『無限のリヴァイアス』というアニメ史に残る愚作の監督としてしか知らないので、どっちかというと不安材料。
むしろ、本作は、ガンダムシード二部作や鋼の錬金術師、ブラッドプラス等、現代の社会情勢を意図的になぞるような舞台設定や、対立構造をちりばめてアニメを作ってきたTBSの名物アニメプロデューサー竹田逭滋の作品としてみるべきかも知れない。
 だってこれ、簡単にいうと、日本がアメリカに占領されて、日本人が日本人としてのアイデンティティーを見失っている、そしてそれに反旗を翻しているのはテロリストだけ(「日本万歳!」と叫んで自爆したりする)という世界の話なのだから(*)。

もっとも、上述の三作がどれもそうだったように、お膳立てこそ現代とリンクしても、お話自体はアニメ的な主人公万能主義や勧善懲悪志向に走ることが多いものばかり――早い話が無難かご都合主義な落ちばかりなので、果たして本当に現代について視聴者に訴えたいのか不明、というか、もしかしたら、社会とのコミットメントを謳うこと自体が、ただの話題づくりという可能性もあるような気もするのだが、なんにせよ、最近のアニメが見失いがちな、世界との接点を作る姿勢自体は評価したい。

とここまではあくまでお膳立ての話で、重要なのはここからどうやって物語を展開させていくのか、である。

さて、これが意外も意外、どうやら廃嫡された皇子(この世界のアメリカは帝政なのだ)の復讐譚だったりするようなのだ。つまり、いきなり日本対アメリカの構図が意味が無い。元アメリカ人が日本側に立って祖国と戦うという構図に何かを狙っているのかなとも思うが、ただの親子喧嘩じゃんという気もかなりするわけで。そういった意味では、軍の描写なんかにアメリカへの悪意に満ちていたりすることを除けば、社会との関わりはまたも細部のお飾りで終わってしまいそうである。第一話の段階ではまだ断定は出来ないけど、これなら『忘却の旋律』とか『パトレイバー』の2と3あたりのほうがよっぽど社会と関わっていたのでは、という風に思える。
まあその辺は、話数が進むつれて明確になっていくだろう。

とりあえず、アニメの第一話としてみた場合、明確かつ強大な敵の提示であるとか世界観の打ち出し方は手馴れたもので、各陣営のキャラクター――どいつもこいつもかなり極端だが――の描き方も手際がよく、物語に入りやすい。アクションもまずまずで、つかみとしては十分な仕上がりといえる。
 次回以降、主人公のキャラがかわいくないキラみたいでつまらないのが、今後どれくらい足を引っ張るか、あと、学校パートの萌えアニメ風のキャラたちがどうなるか、あたりが作品の命運を決める気がする。特に後者は、シリーズ構成にあの『舞-HiME』シリーズの吉野弘幸が関わっているので、とても不安。

キャラクターは、男キャラはCLAMP色が強く、女キャラは木村色が強い感じでしたね。作画崩れしなければ、それだけでも見る価値がある、かもしれない。


(*)こうやってあらすじにすると、最後の数行以外はまったく面白くなかった――そしてその最後の数行も平均的なショートショートにありそうなレベルで、長編の意味は無い――村上龍の『五分後の世界』みたいだな。