第十二話

シムーンと違って、こちらは本当に最終回。
そしてやはりシムーンと違い、落ちがはじめから見えている話でもある。つまり、落としどころより落とし方がポイントになるわけだが、それが恋愛の決着よりもむしろ素奈緒が素奈緒であることに重きが置かれていたのは好印象。
だから、説得に来たレオが大して役に立たず、むしろ友達の一言のほうが彼女を強く揺さぶるのも当然なわけである。
まあ、当然であっても、ちょっと笑ってしまったけど。なにもここまでレオなど脇役ぶり(スクールランブルにおける烏丸君みたいなポジションですね。いればいいっていう)を強調しなくてもいいのに。

その後の展開のでたらめぶりはある意味感動的だ。
奈緒は生徒会長になりたいなんてことは、今までまったく主張していないのに、「みんなが(素奈緒が会長に立候補するのを)待っている」とか、生徒会長立候補演説のはずなのに転校当初の体験談を独り芝居で演じ出すとか、それでほとんどの人が何の違和感も覚えないとか、議論大会のはずが、一度も議論もなく会長が負けたことになったりとか、芸術性のない(変態性、神経症的異常性のない、でも可)デイヴィッド・リンチ映画みたいなありさまである。
超好意的に解釈すると、「みんなが待っている」は、対生徒会長用秘密兵器として待望されていたというととれないことはないし、独り芝居は、演技力のアピールで文化祭の雪辱、回想を兼ねた自己のアピールと復活の表明、そして生徒会長のツンデレ振りアピールと、一挙大量得票を狙ったのだろう(その狙い自体は悪くないと思う)が、いかんせん段取りがないのがまずかった。展開の唐突さはもはやギャグの領域だし、独り芝居も途中で(作り手が)力尽きて、途中でただの総集編になってしまうし。もうすこしがんばれ。

おまけの芝居オチは……蛇足、ですね。
それでもまあ、『ビッグオー』ではなく、『こちらブルームーン探偵社』へのオマージュ、ということにしておこう。オフビートが全然効果的じゃないし面白くもないけど、芝居中の人間関係が、芝居終了によりいったんリセットと見せてちゃんと継続しているあたりは、本家のノリを上手く受けついでいるような気もしないでもない。
蛇足は蛇足ですが。
 
だるいレオがらみを一話ぐらいにまとめて、素奈緒のハーレム作りと演劇部始動、対会長戦に話を絞って作ればよかったのに。