第二十四話「全て遠き理想郷」

いよいよ、あるいはようやく、最終回である。
 今回の最初の衝撃はテスト画像のようなブルーバックのテロップであろう。そして次なる衝撃は、文字画面にその朗読という原作に忠実どころか、ゲームのプレイ画面の再現のような素晴らしい構成。そんなに原作が好きですか!

 もちろん、原作に合わせる苦労は並大抵のことではないから、これは評価すべきであろう。
 たとえば、セイバーの髪がほどけるあたりは、普通に考えると、あの編みこみをほどいたらかなり長くなるわけなのだけど、「原作では」そうなっていない。といって、髪がほどけたとたん短くなったら、呪いの人形の逆現象である。黒柳徹子さんみたいに付け毛です、というわけにもいかないのだ。で、スタッフはどうしたかというと、アップとソフトフォーカスでほどけた過程をよく見せず、気がつくと髪がほどけているという風にしたのでした。なんたる原作愛!

 前回からの引き続きである二点同時お間抜け突貫バトルの顛末はというと、これはどう見たってご都合主義以外の何者でもないわけですが、これはしょうがない。だって、原作でも長々と書いている内容をまとめると、「すごい武器を出したから勝った」というだけのことなので、それを視覚的に再現したら、すごい武器を出したから勝ったとする以外ないのであった。
 まあ、さすがに鞘――アヴァロンについては説明を入れないといかんと思ったようで、長台詞でもって説明をしていたが、だからってそれをギルガメッシュに言わせるのはどうなのか知らん。セイバーが自分で言うのもかなりあほな場面になりそうではあるが、なんでおまえがそれをそんなに詳しく知っているのだ、と思った人はたくさんいたのでは?
 っていうかこの辺がこういう困ったことになるのは、伏線もろくに張らないで無敵兵器を繰り出させる原作の段取りが悪すぎるせいなのだけどね。

 他方、士郎くんが黒いどろどろに根性で勝ったように見えるのは気のせいではないです。
 ギロロ言峰は、ギロロ伍長の半分もかっこよくなかった。そうですね、最終回あたりの巌窟王ぐらいのかっこよさかな? まあ個人的には十七話以降の巌窟王は記憶から鋭意抹消中なので、比較が正確かどうかもわからないのですが。
 剣を出す投影で布を出したのはまあ一種のギャグでしょう。原作みたいに盾とか出したりしないし(突っ込まれる前に書いておくと、盾も出せる「剣製」だということは知っています。電子レンジ機能のある冷蔵庫みたいなものですよね)。

 さて、前回分のコメント欄にもちょっと書きましたが、この世界での晩年のアーサーはエクスカリバーをどうしたのか、という問題について、その詳細が判明するエピローグ。
 エクスカリバーの去就以上に、ベディヴィアが能登麻美子ってのにまず驚く。桑島モルドレッドといい、この世界の中世は、男装の麗人がひしめいているのか?
 ともかくべディヴィア卿は、やっぱりきっちり剣を返却してきたのでありました。ってこれはまずいんではないの? 剣を返すエピソードの前に英霊化したということになるのか? どっちにしても、手元に剣はないのであった。
 召還時に持ってない武器を持ってくることができるのですか英霊は。オプション? なら鞘もつけ ろや、と思ってしまうのであった。
 せめてマロリー準拠でやれば、剣は手元にあるので、剣を持っている間に英霊化したとかこじつけられないこともないが、わざわざオリジナル展開(湖が遠くにある、とかね)にしてまで、矛盾を作り出すこの発想がよくわからない。
 つまるところ、アーサー王なんだからエクスカリバーは持っている、悲劇の過去がほしいから晩年の設定にしたい、無敵の鞘はラストまで持たせたくない、とやりたいシチュエーションがまずあって、全体での整合性を考えない(あるいは考えてもその場しのぎでやる)からいたるところでゆがみが発生してしまうわけだが、しかしこれはすべて原作の問題なんだよね。
 スタジオディーンと監督は絶望先生の住んでいるあの町のあの通りを直進しただけなのであります。まあそれで罪が軽くなるかというと、ならないですが。

 ところでこのべディヴィア、作中ではべディヴィエールと呼ばれてますが、この読み方を採用すると他のキャラ名が変なことになるような気がする。アーサーはアルチュ―ルとか。

 バトルシーンより料理の描写のほうが濃いのはもういまさらですね。
 ホロウで出張るキャラを無理やり出したりという原作ファンへのこれ見よがしなお愛想もそうですが、『涼宮ハルヒの憂鬱』と並んで本末転倒という言葉が実によく似合う作品です。

 そして冒頭の謎クレジット、中盤の素敵な紙芝居構成に続くスタッフのおしゃれハート、全スタッフ五十音順掲載! 見難いだけです。とどめに冒頭のブルーバックに対応するようなただ白いだけの背景にFINの字。スタッフの本作への微妙な距離感を視覚的に表現したような、見事なラストカットでございました。

 とまあ、構成演出、ストーリーの方面のインパクトがすごすぎたので、どうにも印象に残らないのだが、メインのドラマも相当酷い出来である。

 だって、セイバーはなんで聖杯を求めることをやめたのかっていうのがさっぱりわからないんだから。

 っていうか聖杯を求めるのを止めたようにはアニメでは見えないわけだが。
 どっちにしても、そもそもセイバーの願いがただ台詞で説明されただけで視聴者にはさっぱりピンとこないものであった上に、その願いの成否を検討する展開は一切なかったので、なに勝手に納得しているの、としか言いようがない流れになっています。まあこの辺は原作もほぼ同じ欠陥を抱えているのでここもまた「原作通り」を邁進しているだけという言いかたは可能なのだけど。
 めずらしく、原作通りでないところといえば、セイバーの契約の実体とか、その無理の在りすぎる解除(願わなくなったので英霊契約も消えたって言うやつですね)なんかを、サクッと無視して進めたあたりですが、これは正しい判断でしょう。説明すればするほどぼろのでる理屈がつまっているところでもあるので、想像にゆだねてごまかすというのが最善手。

 さて、士郎パートですが、これはセイバーパートの比ではない酷さである。

 士郎君の結論:これからも頑張ろう。

 さすがミトコンドリア並の記憶能力しかない男。なにも反省してません。

 そしてたぶん原作を知らないほとんどの視聴者は思うはずです。
 一体この話はなにを言いたかったのだろうか……。

 個人的には、ゲームをやったときに思い、今回も思ったのは、これは要するに自己満の激しい主人公が、かわいい女の子を助ける自分、というすばらしいロールプレイに遭遇して、より激しく自己満に浸るっていう話だよな、ということでした。理想とか正義とかは、それを掲げる自分への愛あってのお題目なので、別に矛盾してようが意味がなかろうが関係ないのであった。
 つまり、あの男に反省とか変化とははじめから論外、真摯なテーマなんか求めるだけ無駄なのです。

 とにもかくにも二十四話、長くだらけた道でありましたが、しかし原作ゲームの問題点を丁寧に再考させてくれた、という点ではスタッフはなかなかいい仕事をしたという気がします。